放生津八幡宮

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「海と産みの信仰」
当宮の古文書によると、八幡宮の八幡を「八海」=「矢渡」(やわた)と読み慣わしている。「八海」(やわた)とは、奈呉の浦から広がる大海原のことであろう。
地元の人々には、八幡様は、海の神様であるという認識が強かった。当宮は、奈呉の海を背に南面して建っている。参拝者からみると、海に向かって参拝するかたちとなる。古くから、漁業関係者の崇敬が篤い。漁に出るときは、八幡宮裏の海上で3回旋回し、参拝してから沖に出かけたという。
拝殿に「昆布をもった仙人」の絵馬が掲げられている。昆布は、蝦夷地が産地であり、放生津は、北前船の交易でも栄えた港町である。北前船の船主ら商人も篤く信仰した。
また、当宮には安産の信仰がある。海は産みに通じるからであろうか。海は、全ての生命のふるさとであるともいわれる。当宮の築山の姥神には、子孫の繁栄を見守り安産の信仰があった。子どもに晴れ着を着せて、家族そろって姥神を拝んだという。姥神のみならず、当宮に安産の祈願をする参拝者は絶えることがない。

「鎮座地について」
郷土出身の偉大な詩聖、牧野茂(鉄篴(てつてき))が昭和14年に当宮に奉納した漢詩文に「東は太刀山の連峰を仰ぎ、北は日本海の蒼波に枕(のぞ)み、右に海龍湖あり、左に射水川あり・・・」と歌った。その景勝地が当宮周囲の風景である。万葉の昔、越中国守・大伴家持が「あゆの風 いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の 釣りする小舟 漕ぎ隠る見ゆ」と万葉集に歌ったように、奈呉の浦に面している。また、「湊風(みなとかぜ) 寒く吹くらし 奈呉の江に 妻呼び交わし 田鶴(たづ)さわに鳴く」と歌ったように越の潟(こしのかた)に隣接していた。奈良時代から海人の集落があり、漁業が行われていたことが万葉集から窺える。当宮は、その奈呉の地に、越中国守大伴家持が、宇佐八幡神を勧請し、奈呉八幡宮として鎮座された。この地域は、当宮の放生会に由来し、放生津と呼ばれるようになった。鎌倉時代の古文書に放生津(ほうじようづ)の名が見られ、鎌倉時代には地名として定着していたことが分かる。鎌倉時代に、放生津に守護所が置かれ、越中国の武家政治の中心地となった。鎌倉期以来、放生津は港町として栄え、近世に至っては、北前船の交易でも栄え、漁業とともに繁栄した。
家持が歌に詠んだ時代には入り江であった奈呉の江が、土砂の堆積で潟湖になった。潟湖は越の潟と呼ばれ、牧野茂の漢詩では海龍湖と歌われていた。その海龍湖が富山新港となり時代とともに変貌を遂げた。射水川も万葉集に歌われた川であり、現在の小矢部川である。万葉の昔より変わらぬ雄姿を見せるのが立山連峰である。立山からの日の出は美しい。初夏から初秋にかけては、立山から昇る朝日が、奈呉の海にきらめいて朝凪の海を美しく染めた。立山連峰と弧を描く海岸線と朝凪の海に出入りする船はこの地域の風物詩であった。現在は、その奈呉の浦も埋め立てられ、新湊漁港になった。新湊漁港の北東の埋め立て地には、帆船海王丸が係留され海王丸パークになっている。奈呉の浦にも時代の波が押し寄せている。

「境内社」
來名戸社(祭神)八衢比古命(やちまたひこのみこと)・八衢比売命(やちまたひめのみこと)
火の宮社(祭神)軻遇突智命(かぐつちのみこと)
祖霊社(祭神)大伴 家持(大伴宿禰家持:おおとものすくねやかもち)
「末社」
魚取社(祭神)事代主命(ことしろぬしのみこと)

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施設情報

スポット名(カナ) ほうじょうづはちまんぐう
電話番号 0766-84-3449
住所 富山県射水市八幡町2-2-27
アクセス 【万葉線】万葉線「東新湊駅」から徒歩約5分
営業時間 07:00~05:00
定休日 年中無休
駐車場
備考 ・お守り 有
公式サイトのURL https://www.houjyoudu.com/
提供元 My神社
投稿者 みんトク編集部

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