赤坂氷川神社
『御社殿・境内』
御社殿は、総欅造り銅葺朱塗にして丹青荘重の一間社流造であり、安政の大地震・関東大震災・東京大空襲の被災を奇跡的に免れました。江戸時代当時のままの姿を残しており、東京都重要文化財に指定をされています。
境内にはたくさんの樹々が生い茂り、至るところに江戸の年号が刻まれた鳥居・燈籠・狛犬が現存し、江戸の情景がそのまま残る、都内では珍しい神社のひとつとなっています。秋には色鮮やかに染まる天然記念物の大銀杏(樹齢400年)があるほか、江戸150万人の生命と財産を守った幕末の志士、勝海舟が名付けた「四合(しあわせ)稲荷」も祀られています。
祭礼日:毎年9月中旬
【祭礼の歴史】
江戸時代の赤坂氷川神社の祭礼は、宮神輿2基を氏子赤坂21ケ町の江戸型山車13本が警固する形をとって神領内を巡行していました。その情景は、神社拝殿に納められている「祭礼山車行列額絵」に見ることができます。
江戸で1番大きい祭礼は、山王権現・神田明神の「天下祭」「御用祭」ですが、「諸国祭礼番付」によれば赤坂氷川神社の祭礼はその2社に次ぐ江戸(江都)で3番手、東日本で4番手に位置する規模のものでした。
【宮神輿の新調】
江戸時代、当初2基の宮神輿を所有しておりましたが、1基は譲渡、もう1基は東京大空襲により焼失してしまいました。そのため、戦後より赤坂氷川祭では、町会神輿のみの渡御となりました。「神輿舞い、山車が往く」宮神輿と江戸型山車が連合巡行するという、赤坂氷川祭ならではの江戸の祭礼をより正確に再現すべく、平成28年8月、徳川吉宗公将軍就任300年にあわせ、「宮神輿」を新調いたしました。
資料によれば、当時の宮神輿は、台輪寸法5尺・推定重量1,300kgあり、牛で曳いて巡行していました。しかし当時の大きさと重さのまま新調するのは現実的ではありません。そこで、姿・かたちは限りなく当時のものを再現し、台輪寸法4尺、重量1,000kg超の規格で新調いたしました。総漆塗、唐破風屋根の神輿で、胴羽目部分には祭礼山車行列額絵の彫刻を配します。
この宮神輿の完成により、平成28年9月の赤坂氷川祭にて、宮神輿と江戸型山車の連合巡行が実に100年ぶりに実現いたしました。
【山車とは】
祭礼の際、山・鉾・人形・花などを飾り付け、牛で曳いたり人が担ぐ曳き物で、1本、2本と数え、山車の語源は平安時代、大嘗祭の際に曳かれた標山に由来し、神様の依り代や、山車の中心にあった鉾の上につけられた「出し」という竹の編み残された部分の名称に由来すると言われています。山車も神輿同様、単なるお祭りの道具でなく、神聖な神様の乗り物なのです。
赤坂氷川祭の山車は、江戸型山車の中で最も知られる鉾台型山車で、二輪車の上に二層または三層の構造物があります。この最上部が人形の部分であり、次の層は飾り幕に取り囲まれた枠で、人形はこの二層目の枠内を上下できるようにつくられています。更にこの人形・飾り幕の部分は折り畳まれた状態で、最下部の部分から人形が「せり出す」という、二段上下可変式のカラクリ(機構)をもつもので、二段の台の上に人形が座るようになっています。これは将軍の上覧に供するために江戸城の門を入るときの工夫であると言われています。
結果として、赤坂氷川神社の祭礼では山車が江戸城に入城することはありませんでしたが、13本もの山車を有し、規模が大きいものであったことは、吉宗公が敬神し、幕府の管理下にあった証なのです。
御社殿は、総欅造り銅葺朱塗にして丹青荘重の一間社流造であり、安政の大地震・関東大震災・東京大空襲の被災を奇跡的に免れました。江戸時代当時のままの姿を残しており、東京都重要文化財に指定をされています。
境内にはたくさんの樹々が生い茂り、至るところに江戸の年号が刻まれた鳥居・燈籠・狛犬が現存し、江戸の情景がそのまま残る、都内では珍しい神社のひとつとなっています。秋には色鮮やかに染まる天然記念物の大銀杏(樹齢400年)があるほか、江戸150万人の生命と財産を守った幕末の志士、勝海舟が名付けた「四合(しあわせ)稲荷」も祀られています。
祭礼日:毎年9月中旬
【祭礼の歴史】
江戸時代の赤坂氷川神社の祭礼は、宮神輿2基を氏子赤坂21ケ町の江戸型山車13本が警固する形をとって神領内を巡行していました。その情景は、神社拝殿に納められている「祭礼山車行列額絵」に見ることができます。
江戸で1番大きい祭礼は、山王権現・神田明神の「天下祭」「御用祭」ですが、「諸国祭礼番付」によれば赤坂氷川神社の祭礼はその2社に次ぐ江戸(江都)で3番手、東日本で4番手に位置する規模のものでした。
【宮神輿の新調】
江戸時代、当初2基の宮神輿を所有しておりましたが、1基は譲渡、もう1基は東京大空襲により焼失してしまいました。そのため、戦後より赤坂氷川祭では、町会神輿のみの渡御となりました。「神輿舞い、山車が往く」宮神輿と江戸型山車が連合巡行するという、赤坂氷川祭ならではの江戸の祭礼をより正確に再現すべく、平成28年8月、徳川吉宗公将軍就任300年にあわせ、「宮神輿」を新調いたしました。
資料によれば、当時の宮神輿は、台輪寸法5尺・推定重量1,300kgあり、牛で曳いて巡行していました。しかし当時の大きさと重さのまま新調するのは現実的ではありません。そこで、姿・かたちは限りなく当時のものを再現し、台輪寸法4尺、重量1,000kg超の規格で新調いたしました。総漆塗、唐破風屋根の神輿で、胴羽目部分には祭礼山車行列額絵の彫刻を配します。
この宮神輿の完成により、平成28年9月の赤坂氷川祭にて、宮神輿と江戸型山車の連合巡行が実に100年ぶりに実現いたしました。
【山車とは】
祭礼の際、山・鉾・人形・花などを飾り付け、牛で曳いたり人が担ぐ曳き物で、1本、2本と数え、山車の語源は平安時代、大嘗祭の際に曳かれた標山に由来し、神様の依り代や、山車の中心にあった鉾の上につけられた「出し」という竹の編み残された部分の名称に由来すると言われています。山車も神輿同様、単なるお祭りの道具でなく、神聖な神様の乗り物なのです。
赤坂氷川祭の山車は、江戸型山車の中で最も知られる鉾台型山車で、二輪車の上に二層または三層の構造物があります。この最上部が人形の部分であり、次の層は飾り幕に取り囲まれた枠で、人形はこの二層目の枠内を上下できるようにつくられています。更にこの人形・飾り幕の部分は折り畳まれた状態で、最下部の部分から人形が「せり出す」という、二段上下可変式のカラクリ(機構)をもつもので、二段の台の上に人形が座るようになっています。これは将軍の上覧に供するために江戸城の門を入るときの工夫であると言われています。
結果として、赤坂氷川神社の祭礼では山車が江戸城に入城することはありませんでしたが、13本もの山車を有し、規模が大きいものであったことは、吉宗公が敬神し、幕府の管理下にあった証なのです。
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施設情報
| スポット名(カナ) | あかさかひかわじんじゃ |
|---|---|
| 電話番号 | 03-3583-1935 |
| 住所 | 東京都港区赤坂6-10-12 |
| アクセス | 千代田線 赤坂駅 /日比谷線・大江戸線 六本木駅 各駅より徒歩8分 |
| 営業時間 | 06:00~17:30 |
| 定休日 | その他 |
| 駐車場 | 有 |
| 料金 | 個人のご祈祷 5,000円より 初宮詣のみ10,000円より 法人のご祈祷 20,000円より 工事安全のみ30,000円 |
| 備考 | ・お守り 有 |
| 公式サイトのURL | https://www.akasakahikawa.or.jp/ |
| 提供元 | My神社 |
| 投稿者 | みんトク編集部 |









